みずのしのきょじょうあと きじょうこうえん
水野氏の居城跡 亀城公園[ 遊ぶ ]
桜の名所としても有名な公園で、日本庭園の中にある十朋亭のほかに、体育館、武道場といったスポーツ施設も整っています。
水野氏が天文2年(1533)に築城した刈谷城は亀城とも呼ばれ、その後、刈谷藩によって270年間維持されてきました。現在、刈谷城の姿はありませんが、お堀跡の城池、小亀池が城址の面影を残しています。その刈谷城の本丸と二の丸の一部を利用しているのが現在の亀城公園です。
城主は、水野家のあと、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦と続き、土井家が2万3千石で廃藩まで在城しました。明治維新後、一時、国の所有となった刈谷城は旧士族に払い下げられ、昭和11年(1936)には刈谷町がこれを譲り受けました。
戦後しだいに植栽等が進められ、昭和44年に高台一帯を日本庭園に造成し、その後も度重なる整備により、今日の公園となりました。今後は隅櫓や門が復元され、城址公園として再整備される予定です。
桜の名所としても知られ、公園内には、日本庭園と調和した十朋亭があるほか、野球場や体育館、武道場などのスポーツ施設も整っています。